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感謝の反対は「当たり前」 - いつまでも不幸な自分を卒業する -

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最近、精神的に疲れている人が多い事に気づく。

これは自分の精神面が健康になり余裕が生まれたからわかったことだ。

 

以前はギリギリの精神状態で生きていた。

周囲と比較し、自分を追い込み、常に自分や周囲にダメ出しをしていた。

どんなにやっても満足せず毎日は非常に苦しく虚しいものだった。

 

視野はどんどん狭くなり、理想はどんどん高くなり、自分はどんどん惨めに思えて、ついには余裕をなくして大事なものが見えなくなってしまった。

目線が上がり、自分の持っているものが当たり前になり、周りの芝生ばかりに目がいっているこの状態を「自分を見失っている」と言うのでしょうね。

 

こうなると働く意味や生きている意味さえわからなくなってしまう。

そして、周囲の環境を全てネガティブに捉えるようになるので自然とチャンスを逃す。

気づいたら精神病というのがオチ。 

 

こんな世の中だし、人生は生きているだけで苦しいけど、捉え方1つで良くも悪くもなり幸せなんて至る所に転がっていると気づく。

 

朝のコーヒー1杯を飲めることが幸せだったり、柔らかく暖かい布団で寝れることが幸せだったり、自分と交流してくれる友人がいてくれること、五体満足で健康であること、やるべき仕事があること…何でも感謝できる。

しかし、これらを全て当たり前として捉え、年収が低いとか、仕事の忙しさが給料に見合わないとか、もっとラクに稼いでいる人がいるとか、残業したくないとか、そんな事を考えるといよいよ黄色信号である。

 

人は精神状態が悪化してくると現状に感謝することができなくなるらしい。 これは精神状態観察の1つのバロメーターになると思っている。

 

なので、自分が黄色信号の人は強引にでも感謝できる心に戻れるよう、トレーニングをした方が幸せな日々を送れるだろう。

試しに1日のうちで感謝した事柄を10個ノートに書いておき、寝る前に見返すのをやってみてほしい。これに慣れてレベルが高くなると、朝起きて生きていた自分に感謝できるらしいが僕はそこまでに至っていない。

 

気がつくと周囲のものを「当たり前」と思ってしまいがちだけど、その状態だと極論すればどれだけお金持ちになっても幸せを感じられない

そもそも幸せとは、現状より向上しているという「点」での評価なので、自分の心を常にフラットにしておくことで多くの事に幸せを感じることができる。

そうすると心に余裕が生まれるので物事を多面的に見ることができ、たとえ厳しい環境でも「これは自分の成長の機会だ」と前向きに捉えて進むことができる。

逆に「これは誰かが自分に嫌がらせをしている」と後ろ向きに捉えると、極論すれば逃げ=死という選択に繋がってしまうので、できるだけ感謝できる精神状態にしておくことが物事を上手く進める方法ではないかと思う。

 

最後にネイティブ・アメリカンの諺を紹介して終わろうと思う。

 忙しい心は病んだ心

 ゆったりした心は健康な心

 静かな心は聖なる心

 静けさは感謝の中にこそある