何者でもない自分を受け入れる覚悟
過去の僕に逆タイムカプセルという形で記事を書いておこうと思う。
君はワンピースという漫画が好きな夢見がちな20代だったな。
毎日の仕事に追われながらも、いつかは起業して花を咲かせてやるという野望を抱き、地味な仕事の毎日に潰されないよう周囲をバカにして闘志を維持していた頃が懐かしい。
だが結局、挑戦した一世一代の大勝負で大負け。
勝負するために掛けたものは全て失い、残ったのは身一つだったよ。
これまで蔑んできた人生を受け入れざるを得ない事態に直面し、
「何者でもない自分」を受け入れざるを得ず、
プライドはズタズタになり生きる希望さえも失ってしまった。
30年間、よく生きた。
もういつ死んでも構わない。
君は将来そう思ってしまうんだよ。
アウシュビッツの収容所に入ったわけでもなく、
3.11の地震で家族や家や仕事を失ったわけでもないのに。
しかし、君は生きる必要がある。
なぜなら、君が死んだら悲しむ人が最低2人はいるからだ。
両親が死ぬまで死んだらいかん。
そんな親不孝は許されない。
そもそも死ぬ勇気もないから生きなきゃいかんのだが。
では、この状態を受け入れて、
乗り越えるためにはどうすれば良いか伝えておく。
諦める(明らめる)事
君が思うインフルエンサーのようになれると思うな。
はっきり言うことは優しさだと思っている。
今の世の中は無責任に煽る人が多く、ネットの影響もあって自分に無限の可能性があるのではないかと錯覚しがちだが、そんな事は断じてない。
可能性は有限で、君が歩む道は君が持っているカードの中から選ばなくてはいけない。
これまで積み上げてきた能力と無関係の道に興味があるなら、それを仕事とはせずに趣味に留めること。
これまでの積み上げでしか人は生きられない。
そして、君が今持っているもので世間に爆発的に影響を与えられるものなどない。
有名人が辿ってきたような積み上げをしてこなかったのだと気づけ。
本多静六のように王道をコツコツ歩む事でしか成功は得られない。
また同時に、表面上の報酬に囚われて生きることも諦めよ。
そうしないと、一生不幸な日々を過ごすことになってしまうぞ。
生きる目的を変更せよ
未来を見て、生き方を変えて人間道を正しく歩むことを芯に据えよ。
知識と徳を積み重ね、人間として間違いのない道を歩めれば良しとせよ。
報酬は楽しみの粕として得られるものだと言える事を目指すのだ。
報酬の多寡は関係ない、それにばかり目を向けず自分が日々誠実であることに目を向けなさい。
報酬を他人と比較してばかりいると己を見失うこと、極端に言えば死に繋がる。
迷った時には論語を見て、渋沢栄一と本多静六の本を見て、ジャン・ヴァルジャンのように誰にも恥じない生き方ができているかを問いなさい。
人として歩むべき道を理解できたなら、それは非常に幸せな事である。
貧した時は積極的に質素倹約に努めて、より一層の長期計画で打開に臨むべし。
正しい方法でないと脱する事はできない。
富した時も誠実さと礼を好む態度を持っていないと維持する事はできないと心得よ。
辛い時の考え方を変えよ
「自分が辛さに耐えれば耐えるほど愛する人の辛さが軽減される」と思うんだ。
人は愛する人のためならば過酷な状況にも耐える事ができる生き物だ。
逆に、暗黒面へと道を踏み外す強力な原動力にもなり得る。
「愛する者のため」という強力な力を今後の原動力とするのだ。
それは両親、配偶者、子供、誰でも構わない。
おわりに
サラリーマンは人生で2度死ぬらしい。
1度目は会社に入る事で、何者でもない自分を受け入れる時。
2度目は40代になり、結局何も成し遂げられないという現実が見えた時。
僕はもう1度死ぬことになるかもしれない。
ただ、人生の目的を人の道を誠実に歩むことに切り替えたのだから、その道に外れないように日々を生きれたら、偉業を成し遂げられなくても人生に意味を見いだせると思う。
少なくとも、そのように生きた経験を本にして残したりして、誰かの役に立てるような実験的な人生にして生きたいと思う。