「羨ましい」という感情から解放された話
最近、ふと気づいたのが「羨ましい」と思うことがなくなったことだ。
多くの人が羨む金持ちについて、彼らは多くの人の役に立っているから収入が多いのであり、その能力があるのですごいなと感心するだけである。お金や地位は単なる結果に過ぎないと考えている。
別に欲がなくなったわけではない。
仕事のキャリア、恋人、住居、生活環境、趣味、友人知人、仕事上の人間関係、収入など、多くのものを手放して孤独や絶望と隣り合わせの日々を過ごし、身一つの状態に戻り、むしろ以前より「欲」は強まる状況になった。
にも関わらず意外と平気なのだ。
もちろん多くを手放した際は、強烈に後悔して生きる意「欲」さえも失ったが、考え方を変えて残っているものを数えるようになれた時、不思議と生きづらさが減っていた。
どういう理由であれ、人生に純粋なマイナスということはないようで、失った分だけ何かを得られるようだ。それが失った分の補填をする程の影響力を持つのか現段階ではわからないが、とても良い「見方」を得られたように思う。
その見方を端的にいうと、生は苦であり、十人十色であり、幸せは常にそばにあるということである。
生は苦
生きることは苦しい事であり、生きている間は常に修行中であるという認識である。
仏教でいう四苦八苦からは逃れられず、誰しも等しく悩みを抱えていて、一般的に多くの人が望むような良い境遇を得た人はそれに応じた悲しみや苦しみが付きまとい、相応の悩みも生じてしまうと納得できた。
普通の人が理想とする「悩みのない人生=幸せ」は存在せず、外的環境を劇的に向上させても得ることはできないし、むしろ大きな苦しみに直面するという事実に気づいた。
十人十色
この世で全員が太陽になれないのだから、他人を見てそうなれない自分を否定して相手を羨んでも仕方ないと気づき、納得することができた。
以前であれば太陽になろうと必死になっていたが、歳を重ねたこともあり良い意味で自分に諦めがついたのだ。
個々人にはそれぞれの役割があり、それで社会と繋がれば良いのだなと思うことができたのは、以下の詩を読んだからである。
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丘の上の松が無理ならば
谷あいの低木になれ。–だが
小川のほとりにある最も美しい低木に。
木になれないのなら、藪(やぶ)になれ。
藪が無理ならば、一握りの草になれ。
そして、大通りを楽しくしてやれ。
カワマスが無理ならばバスでよい。
–だが、湖の中で最も生きのよいバスに!
我々は皆が船長にはなれない。
水夫になる者もいよう。
一人一人が何かすることがある。
大きな仕事もあれば、小さな仕事もあろう。
そして、しなければならない務めは手近にある。
大通りが無理ならば、ほんの小路でもよい。
太陽が無理ならば、星になれ。
成功と失敗を分けるのは大きさではない。
何になろうと最上のものになれ!
-ダグラス・マロック
(翻訳の参照元:「道は開ける」P229~P230より)
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今では仕事があることが有難いと思えている。
社会との繋がりを絶たれた状態ほど辛いものはないと知ったからである。
幸せは常にそばにある
幸せとは、現在認識している地点よりも上昇していると感じた時に発生する感情であると本多静六が語っている。なので、認識している地点を上げすぎると日常が全て不幸に感じられてしまう。
本当は幸せなことが日常に沢山あるはずなのに、僕たちはそれを普段あまり認識せずに生きており、自分にないものばかりに目がいくようになってしまっている。
普段からあるものが「当たり前」になってしまっているからだ。
この機能は仕事でスキルを向上する時には非常にプラスに働くが、幸せを感じるという場面ではマイナスに働いてしまう。
なので、僕たちは忙しい毎日の中で意識的に認識をリセットする必要がある。 そのためには、不幸を感じさせる「当たり前」から、反対語である「有難い」と思えるようになることである。
幸せを感じるためには認識している地点を下げて何気ないことにも「有難い」と思えるようになることが大切であり、逆にそれができないようだと、いくら金持ちになっても永遠に不幸のままとなってしまう。
ここで大切なのは現状に満足して成長しないことと、認識している地点を下げて幸せを感じることは別物であるということ。
欲が向上心に繋がることはよくあるが、幸せを感じることとは両立できるので心配せずに日々の中に幸せを感じながら向上すれば良いと思う。
最後に
「羨ましい 」と思うことがなくなると、周囲の人から色々な話を聞くことが多くなったなと感じる。多分、妬まれるという不安を与えない態度が「安心」して話せる相手として映ったのかなと。
もっと「安心」というイメージを与えることができるような人になりたいと思う。
おわり。
双極性障害 軽躁状態の恐怖 - 軽躁で休職した話 -
僕は双極性障害Ⅱ型である。
うつ病で休職した話はネット上に溢れているが、双極性障害の軽躁状態で休職してしまった話が出ていなかったので、誰かの役に立つようにUPしておこうと思う。
目次
双極性障害とは
Ⅰ型とⅡ型に分かれ、気分が高揚する躁状態と気分が落ち込むうつ状態を繰り返す病である。
具体的な説明に関しては以下のサイトをご覧頂きたい。
非常に恐ろしい躁状態
Ⅰ型とⅡ型の両方に言えることだが、退職、離婚など人生を一変させる決断を病による一時的なテンションで実行してしまうのが1番の怖いところだ。
しかも、本人に自覚はなく周囲も気づかないことが多いので問題が大きくなるまで病気が発覚しないのである。
Ⅰ型の場合はその度合いが飛び抜けており即入院が必要だ。
例えば突然借金してマンションを買ってしまったり、ブランド物の服を買いあさったり、選挙に出て総理大臣になる!という無茶な事を言ってしまう。
最終的には周囲もおかしいと気づいて精神科や心療内科に行く事になるが、周囲が気づかない期間で人生や人間関係を容易にぶち壊してしまう。
そして、それらは病によって衝動的になされるので、落ち着いてくると猛烈に後悔して強烈なうつ状態になってしまう。それもあり自殺率は20%と言われている。
Ⅱ型の場合もⅠ型程ではないが人生に大ダメージを与える破壊力を持っていて、テンションが高い…だけでは済まされない状態になる。
健全なテンションが高い状態と異なり、躁状態の特性を持つテンションの高さというのが違いである。
Ⅱ型を発症して軽躁状態で休職した話
ここで具体例を示そう。
僕は失恋が原因でうつ状態になり心療内科に通ったが、3ヶ月後に体調が良くなったので通院をやめてしまった。
実はそれが躁転だった。
半年間ほど株の投機にのめり込み、その間は軽躁状態で仕事もできた。
投機が失敗に終わると鬱転し1ヶ月ほどうつ状態。
挫折して鬱転し1ヶ月ほどうつ状態。
そこから仕事のストレスが重なり軽躁状態が悪化。
強烈なストレスがかかったことにより、せどりで起業する!と猛進して勢いで休職。
周囲からは「元気なのになんで休職!?」と思われていたようだが無理もない。
ここで躁状態特有の事例が発生。
休職1ヶ月頃、駅前でナンパしている姿を会社の人間に目撃され社会的信用を著しく毀損。
これは性的逸脱という症状の1つだ。
そして「元気なのに休職し駅前でナンパしている奴」というレッテルを貼られる。
ただ、この時はまだ軽躁状態なので他人のことなど全く気にならなかった。
半年後には月100万くらい稼いでいけると本気で思っていたので「会社で働くしか能のない奴隷共は哀れだな」くらいに感じていた。
もう完全に病気(軽躁状態)である。
当然ながら、軽躁状態の時は冷静な判断ができていないのでせどりで成功するわけもなく4ヶ月後には挫折、鬱転して2ヶ月うつ状態。
そこから自分でアプリを作ろうと思いつきプログラミングを始める。
オンラインのプログラミングスクールを受講し、先生と個人契約をしてアプリを制作。
8ヶ月間ずっと軽躁状態でやり続けアプリが完成する間近になってうまく利益に繋がらないことが判明して鬱転、1ヶ月うつ状態。
途中でリワークプログラムを4ヶ月受講したが、軽躁状態だったので周囲の人と比べて元気なため受ける意味を感じていなかった。さらに受講者をナンパしたのがバレたり、過剰な発言があったのは軽躁状態だったからだと思う。
この辺りで主治医から双極性障害Ⅱ型と言われたが全く信じず&受け入れず。ここまでは自分が起業するために戦略的に休職を選んだと思い込んでいるためである。実際は軽躁状態による衝動的な行動なのだが、その自覚がないのが非常に怖いところだ。
そして、うつ病と違って元気なため自分が障害者であるという現実を受け入れるのは容易ではない。その後は転職してプログラマとして生きていく!と言い出して転職活動をしたが、両親が猛反対してくれたおかげで目が覚めて復職を決意するに至る。
するとこれまでの行為を猛烈に後悔して鬱転、超強烈なうつ状態が2ヶ月続く。この2ヶ月は特に強烈で、最初の1ヶ月は本気で死にたくなる日が続いた上、早朝覚醒してしまうと辛くて殺してほしいと思うほどの苦痛だった。
幸い自殺するほどの勇気はなく、事故にあったり、通りすがりの人に刺されたり、心臓麻痺が起きたりして死んでしまいたいと毎日思っていた。
そんな状態なので体が動かず寝ていることが多かったし、食欲もないので2週間ほどで体重は3kgも減ってしまった。うつ病の知識はあったので本当にそんな状態になるのだなと驚いたものだが、その辛さは想像を絶するものだった。
その時は今までバカにして来た抗うつ薬でなんとか危険なレベルから脱出できたので、この時ほど薬に感謝した時はない。
後半1ヶ月では何とか現状を受け入れようと色んな本を読んだ。特に以下の4冊にはお世話になった。
運命なんか全部変えられるねん! 大阪オカンの「命を躍動させる」39の教え (PHP文庫)
- 作者: 小田原悦子
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2014/08/29
- メディア: Kindle版
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本当に落ち込んだ時に読むと心が救われる1冊。
著者がどん底を経験しているからこそ言える励ましの言葉の数々。
随所で涙が出てしまい、死にそうな気分を上げることができる薬のような本。
希望を見出せなくて目の前から逃げ出したくなる時に読む1冊。
クリスチャンでうつ病を経験している著者が色々な励ましの言葉を書いてくれているのが非常に心に響いてきて、辛い時こそもう1歩だけ歩き出そうと思える。
希望が見出せない時に上記の本と合わせて読むとさらに心が救われる。
今後の生き方の参考になる1冊。
軽躁状態が現れた時に自分でブレーキをかけることが再発防止策となるが、そのために効果がある内容となっている。
著者は大学の教師をしながら投資を行って100億円という財産を築いた人で、その方法は実に地味で実直。コツコツと勤倹貯蓄に励み、それを投資に回して資産を増やしていった和製ウォーレン・バフォット。
地道にコツコツという王道こそが全ての本質で急がば回れであるという教訓を自分の心に刻み込むには非常に良い内容である。
これを読めばもう甘い儲け話に乗ることも勢いで休職することはないと思われる。
今後の人生の指針となる1冊。
上記の本と合わせて読んでおきたい人生の羅針盤的内容。
軽躁状態になってしまった時、その判断が正しいか否かを論語に則して考えれば今回のような休職という判断にはなっていないと思うし、今後の再発防止に役立つと思う。
さらに、論語を読むことにより「欲」から解放される自分を発見でき、それに伴い自己否定の精神的苦痛から解放されるという効果もある。
給与額、役職への関心、周囲との比較から解放され、自分が目の前の人たちの役に立っているか、誠実に対応できているかを考えて生きることが幸せに繋がっていくと考えるようになれる。
復職に当たって
恥や外聞を捨てて復職を決めるにはかなりの覚悟が必要だった。
周囲からどう思われるか、障害者として扱われること、組織人としての将来性の無さ、休職時に仕事を放棄してしまった罪悪感、休職した後悔、色々な考えと戦った。冷静に考えれば副業でやれば良いことだが、100%成功すると思い込み突っ走ってしまった。
まさに双極性障害Ⅱ型の軽躁状態が引き起こした悲劇。もちろん休職しなければ悪化の一途だと思うが、今考えても仕方ない。最初は「辞める!」と心療内科で豪語していたのだが先生に説得されて休職で止まったのが良かった。今思うと本当に有難い…これがなかったら今ごろ後悔して死んでいると思う。
なんで100%成功すると思ったのか?それは自分でもわからない…病のせいとしか言えない。悲しいかな当時は本気でそう思ったのである。それゆえ軽躁状態は恐ろしいのだ。勢いで会社を辞めたら後で絶対に死にたくなる。元気になったから強く思うことは休職したことに対する後悔であり、うつ状態の原因でもある。
ここまで来たら障害者という自分を受け入れて生きていくしかない。レールを外れ、障害者のレッテルを貼られ、優等生キャラから一変してしまった僕の人生。生きていると本当に何が起きるかわからない。
ただ、死ぬまで生きることはとても大切なことであるし、それを途中で諦めて自死することは最悪だと思っている。
幸い、僕の人生は11年周期で良いも悪いも来ている。3年後から良い流れの3年間が来るのでそれまでを1日ずつ、一歩ずつ歩いて生きたいと思う。
感謝の反対は「当たり前」 - いつまでも不幸な自分を卒業する -
最近、精神的に疲れている人が多い事に気づく。
これは自分の精神面が健康になり余裕が生まれたからわかったことだ。
以前はギリギリの精神状態で生きていた。
周囲と比較し、自分を追い込み、常に自分や周囲にダメ出しをしていた。
どんなにやっても満足せず毎日は非常に苦しく虚しいものだった。
視野はどんどん狭くなり、理想はどんどん高くなり、自分はどんどん惨めに思えて、ついには余裕をなくして大事なものが見えなくなってしまった。
目線が上がり、自分の持っているものが当たり前になり、周りの芝生ばかりに目がいっているこの状態を「自分を見失っている」と言うのでしょうね。
こうなると働く意味や生きている意味さえわからなくなってしまう。
そして、周囲の環境を全てネガティブに捉えるようになるので自然とチャンスを逃す。
気づいたら精神病というのがオチ。
こんな世の中だし、人生は生きているだけで苦しいけど、捉え方1つで良くも悪くもなり幸せなんて至る所に転がっていると気づく。
朝のコーヒー1杯を飲めることが幸せだったり、柔らかく暖かい布団で寝れることが幸せだったり、自分と交流してくれる友人がいてくれること、五体満足で健康であること、やるべき仕事があること…何でも感謝できる。
しかし、これらを全て当たり前として捉え、年収が低いとか、仕事の忙しさが給料に見合わないとか、もっとラクに稼いでいる人がいるとか、残業したくないとか、そんな事を考えるといよいよ黄色信号である。
人は精神状態が悪化してくると現状に感謝することができなくなるらしい。 これは精神状態観察の1つのバロメーターになると思っている。
なので、自分が黄色信号の人は強引にでも感謝できる心に戻れるよう、トレーニングをした方が幸せな日々を送れるだろう。
試しに1日のうちで感謝した事柄を10個ノートに書いておき、寝る前に見返すのをやってみてほしい。これに慣れてレベルが高くなると、朝起きて生きていた自分に感謝できるらしいが僕はそこまでに至っていない。
気がつくと周囲のものを「当たり前」と思ってしまいがちだけど、その状態だと極論すればどれだけお金持ちになっても幸せを感じられない。
そもそも幸せとは、現状より向上しているという「点」での評価なので、自分の心を常にフラットにしておくことで多くの事に幸せを感じることができる。
そうすると心に余裕が生まれるので物事を多面的に見ることができ、たとえ厳しい環境でも「これは自分の成長の機会だ」と前向きに捉えて進むことができる。
逆に「これは誰かが自分に嫌がらせをしている」と後ろ向きに捉えると、極論すれば逃げ=死という選択に繋がってしまうので、できるだけ感謝できる精神状態にしておくことが物事を上手く進める方法ではないかと思う。
最後にネイティブ・アメリカンの諺を紹介して終わろうと思う。
忙しい心は病んだ心
ゆったりした心は健康な心
静かな心は聖なる心
静けさは感謝の中にこそある
僕の人生は11年周期になっていると気づいた話
ども、占い好きなさくです。
よく人生は12年周期と言われますが、どうもズレているように感じていたんですよね。
今年はどん底の年で、なんとか希望を見出すべく人生を振り返って見ると、なんと胎児の頃から数えるときっちり11年周期で浮き沈みが出ているのです!
僕は30歳を過ぎているわけですが、最初にくる波は胎児の頃から数えて4回目になるわけです。
さすがに2回目だと偶然だと思いますが、3回も非常に辛いことが同じ周期で来ていると信じますよね。それ以外に良い年や試練の年も11年周期で来ていたので1人でテンション上がってしまいました。
正直最近は将来に対して希望が持てなかったのですが、自分で作った11年周期表を見ると生きていれば良いことがあると思えるようになりました。
同時に、試練の時は自分が最も欲しいと思っているものを毎回失うので、次の試練の時が非常に怖いです。
それも含めて人生の浮き沈みが周期的に来るとわかれば、今後の人生設計変わります。
僕は自分の人生の波長に気づいてしまった?わけなので、それにより人生がどう変わるのか実験的に見て生きたいと思います。
それにしても今回のどん底は結構厳しかったです。
2度と繰り返さぬようこの反省をしようと必死になっていたら発見に至ったのですが、もしかするとこの段階で気づく必要があったのかもしれません。
運命論的になるので個人的に好きではないのですが、試練の年とどん底の年は周期を重ねるごとに大きくなっています。
そして次の段階では今回をさらに上回るものと予想できますが、それを最小限に抑えるべく今の段階で気づく必要があったのでは?…と思うのです。
40代で最も欲しいものは家族に関連しているはず。家庭を持っていればダメージの影響は自分だけに留まりません。子供との死別、奥さんとの離別・死別が来てしまったら最悪です。
なので予め対策しておくように…ということなのでしょうか?
そう思うと「君の名は。」が浮かんでしまい冒頭の画像はそれを使いました。
未来に起こる大惨事を過去から防ぐストーリーになれば良いなと。
映画と違うのは自分が見れる未来は1つしかないことですね。笑
あと、11年って中途半端だなぁと思っていたら太陽黒点周期と同じなんですね。そう思うとなんだかしっくり来ます。
ちなみに、今年は11年で最悪の年でした。
来年から新たなサイクルが始まりますので心機一転頑張ります!
うつ病が発生する心理的メカニズム
ども、心理学大好きなさくです。
今日はうつ病に関する内容です。
うつ病はどうして発症するのか?
生理的なメカニズムは言われてもピンと来ないが、心理的メカニズムであれば予防もできるし自分で対応もできる。
なので周囲に怪しい人がいたらぜひ下記をチェック頂きたい。
以下の3つは精神的に大ダメージを与えると言われる要因であり、
・喪失
・孤独
・絶望
それに自責が加わると「うつ病」になると言われている。
この中で最も重要なのが自責である。
精神科医の水島広子先生によると、精神疾患の患者はほぼ全員が自責を抱えている。
喪失、孤独、絶望はそれぞれ精神的な大ダメージを与える要因ではあるが、それだけではうつ病を含む精神疾患にはならない。
自責というトリガーが引かれると一気に病的な症状に陥るのだ。
自責とは自己否定をすることであり、それにより自己肯定感(自尊心)が減ってしまう。
自己肯定感(自尊心)が0になると「そのままの自分で良いと思えない=自分は存在してはいけない=死にたい」となってしまうのだ。
例えば、愛する子供を失ったショック(喪失)で塞ぎがちになり、周囲との関わりを断ち(孤独)、未来への希望がなくなった段階(絶望)で、それが自分のせいだと思うようになる(自責)とうつ病になってしまう。
たとえ喪失・孤独・絶望の大ダメージがあっても、自分のせいだと思わなければうつ病には至らず、一時的な喪失感と気分の落ち込みだけに留まり2ヶ月程度で復活できるとのこと。
この場合、喪失対象は第三者だけでなく過去の自分、理想の自分、これまでの地位なども含む。
生きる意味が人を生かす
うつ病を発症するような過酷な状況でも、実はそこに希望(生きる意味)があれば人は耐えられる事ができる。
逆に希望(生きる意味)を失った瞬間に人は堕ちてしまう程に弱い存在でもある。
それについては「夜と霧」という本で、ナチスの強制収容所に収容されていた精神科医ヴィクトール・E・フランクルが語っている。
- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
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クリスマスに戦争が終わり自分たちが解放されるという噂が収容所内で流れたそうで、その希望に向かって多くの囚人達は過酷な環境を耐えていた。
しかし、クリスマスが過ぎても戦争は終結しなかった。
すると希望(生きる意味)を失った多くの人が亡くなってしまったという。
過酷な環境下でも希望という生きる意味があれば人は生き抜く事ができるが、それが失われると人は脆いのだ。
話は逸れるが、それを考えるとサラリーマンが同僚と飲みに行き愚痴を言い合うのは、一種の防衛本能ではないだろうか。
同僚との連帯感を強めて孤独を避け、愚痴を言い合うことで怒りのベクトルを自分ではなく他者に向かわせることで自責を避けているように思うのだ。
その流れで考えると、今と比べて30年から40年前のサラリーマンの方が働きやすかったように思う。
不安がない時代などないが、経済成長とバブルを経験し、物が増えて豊かになる過程と共に歳を重ねた人たちなので、今と比べて希望(働く意味)を保ちやすい時代だったと思う。そもそも働く意味を考える人が割合として少なかったのではないだろうか。
渋沢栄一氏が本の中で語っているが、彼が生きた1900年代前半でも働く意味について考える人はいたが、それは高等教育を受けても就職できないような少数の不遇な状況の人だけだったとのこと。
それが今やネットで色々な情報が拡散されるので、中には不安を煽る情報もあり、働く意味についても多くの人が考えるようになってしまった。
しかし今は物を持つことへのモチベーションは低下し、経済収縮への不安が強まっていて希望(働く意味)を保ちづらい状況が出来上がってしまった。
そう考えると現代にうつ病が多いのは当然のように思えてならない。
この時代をどのように生きるべきか?
それは原点回帰のように思う。
最近は情報過多が続いており、これにより欲が先行してしまうと人道を踏み外したり自分を見失ったりして多くを失いかねない。
SNSが良い例だが、他者と比較することで自分を不幸にする人が多いのは現代の特徴であると思う。そもそも金銭の多寡や地位や名誉で幸せの尺度は決まらないのに、さも多く持った方が幸せであるかのように拡散し広告している。
一部では労働者は負け組だか、会社勤めは奴隷だと言う人までいる。
ただ、それを真に受けたら幸せにはなれない。
僕は「論語」が好きなのだが、これには人の歩むべき道が記載されている。
他者との比較よりも自分が人として恥じないよう生きる事ができているか、地道な努力と誠実さを以って他者に貢献するように日々を生きているかを問うようにすれば、幸せに通じる道は拓けるのではないだろうか。
「論語」ではなく、仏教やキリスト教でも良いと思うが、人道を意識して生活することで希望(働く意味・生きる意味)を見出していけるものだと考えている。
この辺りは本多静六氏の著書に多くの人の参考になる真理が書いてある。
逃げちゃいけない
悲しいかな人生で3度くらいはひどい状況に陥ることがあるようだ。
その時の心構えについてCMでの所さんの言葉が心に染みたのでシェアしたいと思う。
妻夫木聡 「逃げちゃいけない時と、逃げて良い時の区別ってあるんですか?」
所ジョージ 「あー、それはね。ほとんど逃げちゃいけないのよ。」
妻夫木聡 「はい。」
所ジョージ 「良い事言いそうでしょ!?ところが逃げて良い時があるの。元気な熊とか会った時とかねぇ。これは逃げた方が良いよね。」
最後に
ちなみにうつ病で死にそうな時には、全部投げ出して逃げるのではなく戦略的に休息or転職しよう。
逃げても結局形を変えて追ってくるので全く良いことはないが、元気な時に向き合った方が死ぬよりマシだと思う。
そうは言っても日本はレールを外れた人にはとても厳しい社会である。
過労死になる前に大手広告代理店を3年で辞めたとある女性は、その後に公務員試験を3年連続で落ちて今は人生詰んだと感じているようだ。
気持ちはわかるし、そんな気分の時には生きる方がツライことだろう。
そういう時には以下の本を読んで少しでも元気をもらってほしい。
きっと涙が止まらないだろうと思う。
運命なんか全部変えられるねん! 大阪オカンの「命を躍動させる」39の教え (PHP文庫)
- 作者: 小田原悦子
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自分に合った美味しいコーヒー豆の選び方
ども、コーヒー大好きなさくです。
色んな地域のコーヒー豆があるので、自分に合った豆を選ぶ方法がわからない?
実は以外と簡単です。
それでは見て行きましょう。
酸味系か苦味系
コーヒーの味わいには大別すると2系統あります。
酸味が強いコーヒーか、苦味が強いコーヒーです。
どちらも強くない中間の味わいもありますが、大概どちらかに分かれます。
酸味系
これらの豆が大概酸味系として販売されています。
ただしタンザニアに関しては店によっては強く焙煎して苦味系になっている場合もありますが、逆にそれを使って自分にあった焙煎をしている店なのかを判断する材料にもなります。
浅煎りの焙煎をする店ではグアテマラも酸味系のコーヒーとして分類できますが、普通はやや苦味よりの味わいが多いです。
苦味系
マンデリン、ブラジル
この2種類が酸味系になる事はありません。
質の良い豆だとしても苦味系ですね。
シングルオリジンかブレンド
シングルオリジンは上記のように単一の国や農園などで構成されており、味が比較的わかりやすいのが特徴です。
しかし、ブレンドはそれらを混ぜ合わせており、各店舗やブレンダーによるオリジナルであることが多いので比較が難しいです。
なので、これからコーヒーを勉強する人や自分に合った豆を探す人はシングルオリジンから始めるのが基本だと言えます。
ワインと同様で、ブルゴーニュのように単一のブドウからできるワインで各ブドウの特徴を知ってから、ボルドーのようにいくつかのブドウを合わせたワインを試す方がより深く味を楽しむ事ができるということですね。
自家焙煎している店に行く
先ほど焙煎度合いの話を出しましたがコーヒーの味を決める要素としては、
生豆の質:焙煎度合い:抽出の比率を7:2:1と提唱する人もいる程に豆の品質は重要になってきます。実際は焙煎の度合いはもっと高いと思いますが、豆の品質と焙煎で9割が決まってくるのは納得です。
もちろん抽出でも味が変わってくるのですが、焙煎された豆が持っている以上の味は出ないという意味では残り1割という感じでしょうか。
そこで、豆は自家焙煎している店から買うのがマストです。
焙煎してからどの程度時間が経っているのかを把握できないと不安ですし、焙煎に詳しい人は豆にも詳しいのが常です。
なので、店で直接好みを言う事ができれば豆探しは終わりになります。
好みの焙煎具合ではなかった場合や、どこの店で買えば良いかわからない場合は以下のサイトを参考にして下さい。
自分に合った最高の豆を探すとなればある程度試行錯誤が必要になるのですが、それもまた楽しみの1つですよね。
それでは、良いコーヒーライフを!